最終回:ヒエラルキーからバランスの宇宙へ
こんにちは。
ビジュアル&サウンドヒーリング「HRTスタジオ スタイル21」です。
■七夕はいかがでしたか?
僕は、不規則生活の疲れからか、
夕方7時頃に熟睡しちゃいました(笑)。
願い事は、夢の中で・・・・忘れちゃったな・・・。
■少々限界を感じていた意識体験トリップノートも、
今回で最終回となります。
このあたりになってくると、うまく表現できなくて、
「もう感性で分かる人は、勝手に理解して!」っていう感じ。
今まで、長々と僕の体験談にお付き合いいただき、
ありがとうございました。
■次回からは、リアルタイムでのお話などを
ご紹介できるようになればと願っています。
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HRTオペレーターやあまんの「意識体験トリップノート」
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最終回 ヒエラルキーからバランスの宇宙へ
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■ヒエラルキー的な宇宙観に疑問を持ちはじめてから、
自分なりの結論を探してみようと探求しはじめた。
そして、いつも頭に浮かぶのは、
「考えすぎじゃね?」
まあ、そのとおりかもしれない。
「別に、どうだっていいじゃん、そんなこと」
おっしゃるとおり、どっちでもいいことだ・・・。
でも、なんか落ち着かないんだよなぁ・・・。
10歳の頃から、こんなもんだと思って成長しちゃったから、
それが正しい、間違いではなく、
自分がすんなりと納得する結論を見つけたいだけなのだ。
そしてある日、瞑想していたら、
とても印象的なビジョンを受け取った。
■その体験は、まず視覚イメージでやってきた。
巨大なハシゴが直立しているのだが、
それはとても不安定で、
見ている自分は、「大丈夫かな?」と心配になる。
「どうしたら、安定するのだろうか?」と考えていると、
「ハシゴを横にするといいのだ」と気づく。
イメージの中で、ハシゴが横に置かれたとき、
さっきまで階上だった部分も、階下だった部分も、
同じレベルに存在する様子が強調されて浮かんできた。
上下だと思っていたものが、実は平面上の位置の違いでしかない。
右か左かという差異を
上下に置き換えて、どちらかの優越性を強調しようとしているから
違和感を感じていたのだ。
■ビジョンの中のハシゴは、
ヤジロベーのようなバランサーに変化した。
バランス点(支点)である自分の意識が変化(移動)すると、
絶妙なバランスで宇宙が、調和(バランス)しようとする。
それは各自のバランス点が違うので、
人それぞれ調和のバランスが違っている。
各自が自身のバランスで自分の世界を体験しているのであって、
そこには、上下、優劣、善悪などの基準は、本来存在しないものだ。
■伝統的な上位の境地を、このバランスの宇宙から眺めてみると、
単に、右の方のフィールドでしかない。
一方、下の方の境地と呼ばれていた部分は、
ただ左のフィールドということである。
野球でいうと、ライトを守るのか、
レフトを守るのかという違いでしかない。
伝統的な境地が好きな人は、それを体験してみたいと願い、
バランスを変化させ、ライトを守るだけのこと。
到達困難だと感じていた境地は、
エベレストの山頂にあるのではなく、
実は簡単に体感できることだった・・・。
なぜライトを目指す人、レフトを目指す人など多岐に分かれるのか?
「ただ単に、好きか嫌いかの問題」と答えが聞えた。
伝統的な悟りの境地を好きな人は目指せばよい。
でも関心ない人に、悟りの境地が一番尊いと説いたり、
伝統的な神について講釈するような
おせっかいはやめておくれ・・・ということか?
■「ヒエラルキーな宇宙からバランスの宇宙へ」
このビジョンが見えた時、
今までのモヤモヤ感が一気に解消し始めた。
それまで、僕は意識体験を「到達する」ものと考えていた。
しかし体験というものは、「バランス・調和」によって、
自分の意識が知覚するものであり、
宇宙のある次元に「体験が存在しているわけではないのだ」。
「この世は、意識が作り出している」
つまり、自分はどのような世界・宇宙を望むのか?
望んだとおりの体験を、僕は経験しているだけなのだ。
今までまとめてきた過去の僕の意識体験は、
自分で創り出して、自分で体験していただけということなのだ。
このバランスの宇宙観を体験してからの僕は、
単純に「好きか、嫌いか」で判断されるような世界を望むようになった。
同じ嗜好の人とは仲間になれる。
嗜好の合わない人とは、干渉しないように距離を置く。
ただそれだけの世界・・・。
■この気づきの後、僕は叔父との瞑想会などから距離を置き、
自分ひとりで内的世界を探求する道を選んだ。
伝統的な行法は、シンプルな世界を望む自分にとっては、
複雑すぎる理論体系だった。
世間では、そんな難しい理論など全く知らないのに、
それこそ「悟っている人」に何人も出会った。
伝統的な道(タオ)以外でも、意識体験はいくらでも可能なのだ。
そろそろ洞窟の中から抜け出して、
自ら探求して、自分の回答を導き出す方が楽しそうだ。
「どの登山道から登っても、ゴールは同じ」
「みんなちがってみんないい」
この世界には、正解など存在しないのだから・・・、
そして僕は、「僕が好きな世界に存在する」という
シンプルな生き方を目指すことにした。
(もう限界・・・おしまい)
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